オーガニックな物語 「伝統野菜を復興するレストラン」

    清澄の里 粟
    CONTENTS(目次)

    清澄の里 粟(奈良県高樋町)
    kiyosuminosato awa

    清澄の里 粟
    ウーハン(大和伝統野菜)、万木カブ、粟餅、カボチャ、冬瓜、赤キャベツ、黄金カブなどを葛であんかけした煮物。

    文:桜鱒太郎
    ※本文は2012年に発売された桜鱒太郎著『未来の食卓を変える7人』(書肆侃侃房)の原稿をもとに、作者が本webサイト用に新しい情報を加筆修正しています。

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    細々と受け継がれる伝統野菜

     大和マナ、今市カブ、烏播(ウーハン)…。これらの野菜は、大和地方(奈良)の「伝統野菜」である。伝統野菜とは江戸時代や明治時代、古くは奈良時代から作られてきたその土地固有の野菜のこと。つまり、昔から日本人が食べてきた野菜である。

     西洋野菜が全盛の今、これらの野菜は流通に乗ることも少なく、たまに産直市場に出たりはするが、基本的には自家消費野菜として数軒の農家だけで食べられてきた。絶滅した品種も数多いが、まだわずかながらもその土地に伝わっているものもある。この、表舞台から消えかかっていた伝統野菜を復活させようという夫婦がいる。それが、三浦雅之さん、陽子さん夫妻だ。ゆったりとした穏やかな笑顔が、訪れる人をホッとさせてくれる、とても気さくな夫婦である。

     奈良県高樋町。ヤギが迎えてくれる小高い丘の上に、二人が営む、『清澄の里 粟』というレストランはある。
     大和伝統野菜を食べられるレストランとして頻繁にメディアにとり上げられ、今や全国的にも有名に。予約は1カ月先までいっぱいだ。現在は奈良市内にさらに二つのレストランをオープン。伝統野菜の美味しさを伝える火付け役ともなっている。
     二人はこれらのレストランを拠点に、周辺農家の人々、店のスタッフたちと共に大和地方の農家で細々と継承されて来た伝統野菜を研究栽培し、種の保存や復活に尽くそうとしているのだ。
     
     そもそも、伝統野菜とは何だろう? たとえば聖護院大根、聖護院カブ、九条ネギなど。京都の伝統野菜は誰でも知っているだろうが、同様に全国各地にも細々と受け継がれて来た野菜がある。
     加賀れんこんや金沢一本太ねぎなどの「加賀野菜」、野沢菜や戸隠大根などの「信州伝統野菜」、かなりメジャーなゴーヤや島らっきょうなどは「沖縄伝統野菜」だ。どの地域にも、そのように根付いてきた独特な野菜があるのだ。
     しかし、伝統野菜に正式な定義はない。おもに都道府県などの地方自治体が独自に認定しているものが多く、その地方によって認定基準はあいまいなのだ。近年、地域おこしの一環として自治体は必死に伝統野菜をアピールしているが、それでも実際は都会のスーパーや八百屋ではほとんど見かけない。
     ではなぜ流通しないのか? なぜ、滅びようとしているのか? それを知らなければ話は進まない。

    清澄の里 粟
    烏播(ウーハン)。粘りがあり、深い味わいが特徴の里芋。
    清澄の里 粟
    清澄の里を見守る田の神様。神様がいつもそばにいる。

    自家採種が基本の野菜

     F1(エフワン)種という言葉をご存知だろうか? F1とはハイブリット種のことで、種苗会社がバイオテクノロジー等で人為的に作った交配種のこと。自然ではあり得ない全く環境の違う野菜同士をかけ合わせることで、見栄えもよく、収穫量も多く、虫にも強いという農作物を生み出してくれる魔法の種子である。一代交配種と呼ばれることも多く、次の世代の農産物はその性質を受け継ぐことなく、品質も低下するらしい。
     つまり、一代しか使えない種子なので、農家は種苗会社から毎年種子を買わなければならないのだ。そして、日本のほとんどの農家がこのF1種を使っている。八百屋やスーパーで売っている野菜の多くが、このF1種の野菜なのだ。

     このF1野菜は、何よりも人の都合に合わせて作られているので、大変便利である。たとえば、病気に強い品種と収穫量が多い品種をかけ合わせ、病気に強くて収穫量が多い品種を作る。また、箱のサイズに合わせて出荷しやすい品種にする。そういう市場のニーズに合わせた品種作りが可能なのだ。最近は野菜の甘味にポイントをおき、甘味を増す種子を作り出すことに成功している。
     しかし、F1野菜の特徴は、なんといってもカタチ重視なところだ。消費者がきれいで美しいカタチを求める傾向があるのと、流通しやすく管理しやすいという長所もあるからだ。また、生育のスピードが上がるようにコントロールしてきたため、短期間ですぐ作れる野菜もあり、出荷時期を調整することもできるのだ。
     その反面、伝統野菜はじっくりゆっくり生育し、収穫時期が遅いものが多い。そして形が大きすぎたり、いびつだったり、調理しにくい大きさだったりで、なかなか流通しにくい。商品としても売りにくいのだ。また、F1のように大量生産できないので、単価も高くなる。だから、F1に負けて来た。滅びてきたのだ。
     しかし、なぜそれでも伝統野菜は残っているのか? 答えは簡単。それは“美味しいから”である。
     商品にはならないが、その野菜の美味しさを知っているから、農家の人はわざわざ自家消費用に栽培してきたのだ。

     伝統野菜は自家採種が基本である。自家採種とは、自ら作った作物から種子を採ることだ。当たりまえの自然の摂理に従ったタネだから、その土地に合った固定種となり、独特の風味を持っている。しかも、農家の人たちは「できるだけおいしい野菜が採れるいい種子を採ろう」と努力を繰り返してきたから、それはとてつもなく魅力的な野菜になっているのだ。
     なかにはF1種を自家採種しようとする農家も少なくはないが、伝統野菜の持つ独特の風味には勝てないだろう。なぜなら、均一化されていないオンリーワンの野菜だから。
     最近、たまにスーパーで平田ネギや八ツ頭、大浦ごぼう、三浦大根といった伝統野菜(伝統野菜のF1化もある)が、西洋野菜に混じって売られるようになった。そう、徐々にではあるが状況は変わってきているのだ。

    清澄の里 粟
    地域の人々の収穫シーン。左側の2人が三浦夫妻。写真:平岡雅之
    清澄の里 粟
    看板ヤギのペーター。清澄の里はヤギの里でもある。写真:平岡雅之

    2人が理想とした福祉社会

     さて、ずいぶん前置きになってしまったが、『粟』の三浦夫婦が伝統野菜の研究栽培・保存をしようと決意した理由は、それよりさらに深いところにある。

     三浦夫妻がやろうとしていることは「福祉」である。

     もともと福祉の仕事に進もうと思っていた三浦雅之さんは、「たんぽぽの家」という障害者の芸術活動に取り組む福祉施設でボランティアをしている時に妻・陽子さんと出会った。雅之さんは福祉を学ぶ学生として、陽子さんは看護師になるための勉強をしている時だった。二人は大勢の人たちが幸せに暮らせるコミュニティー(地域社会)を作りたいと願っていた。
     この時、雅之さん18歳、陽子さん20歳。会った瞬間、この人と結婚すると思ったと雅之さん。雅之さんの一目惚れだったとか。そして4年後にめでたく結婚した。

     伝統野菜をテーマにしようと思ったのは新婚旅行の時だ。なんと、二人は新婚旅行の行き先にカルフォルニア州のバークレーを選んだ。バークレーは当時、身体障害者の先進都市と言われており、それを見て学ぼうとするための新婚旅行だった。
     しかし、そこにいたのはわずかな期間だった。気がつくと知人の紹介でシンキオンという場所にいた。ほとんど観光客が行かない場所だ。シンキオンはネイティブアメリカンが集まる聖地で、二人はなぜかホピ族の葬儀セレモニーに参加していた。
     ホピ族のコミュニティーでは一番年上のおばあちゃんが知恵袋として大切にされ、尊敬され、その指揮のもとに儀式が行われていった。そこには異なる世代が交流する縦のコミュニティーがあり、さまざまな世代がそれぞれの役割を持って、儀式に参加していた。
     お互いに助け合い、お互いを支え合う、尊敬し合う。生きがいを持った老人と元気な子どもたちが暮らす、心優しいコミュニティー。そこには二人が理想とする福祉社会があった。そして、それはかつて日本中のどこにでもあった風景だった。

    レストランの隣にある900坪の畑。この他にも畑はある。写真:平岡雅之

    食文化を継承するコミュニティー

     二人は滞在中、テント風のティピよりちょっと大きなラウンドハウスに泊まった。壁にはすごくカラフルなトウモロコシの種子がかっていたが、聞くと、それはただの飾りではないことが分かった。彼らは壁に干すことで種子を保存していたのだ。
     ネイティブアメリカンの主食はトウモロコシである。日本でいえばお米と同じであり、それをそれぞれのコミュニティー、それぞれの家が種子を継承していた。代々自家採種してきた「我が家だけのタネ」を、妻が嫁入りするときに持参し、種子を継承していく。男たちは作り方を継承していく。そういう伝統がそこにはあった。

    「日本でも私の母がお嫁にいくときは、種子を持参したそうです。子どもの頃、一升瓶の中に種子がたくさん入っているのを見た記憶があります。女性がその家族の食文化を継承するために、嫁入り道具に胡麻の種子を持っていた人もいたそうです。種子を採るのは女性の仕事だったんですね」と陽子さん。

     先人たちが自家採種するたびに工夫を加え、種子は最もその土地に適合した形で、正統に受け継がれてきた。それだけではない。本来自分のところで自家採種するだけでは絶滅するリスクがある。だから、地域全体で品種保存し、種子の多様性を保全しているのだ。
     命の糧である食を中心にし、コミュニティーが一つになっている。ネイティブアメリカンが集まるこの村を見ていると、陽子さんはかつて自分が育った村でも同じように、老人が尊敬され、大切にされている文化があったことを思い出した。
     そして、その文化の中心にあったのは、伝統野菜のようなものではないかと気がついたのだ。夫婦で毎日話し合っていくうちに、そんな結論にたどり着いた。そして、雅之さんは陽子さんに向かって、こう語りかけた。
    「今の社会にそういうコミュニティーがなくなっているのなら、反対に伝統野菜を復活させることで、もう一度そんなコミュニティーを復活させられるんじゃないか? そういう場所を探そう!」

    清澄の里 粟
    陽子さんのふるさと、奈良・東吉野で作り続けられている伝統野菜の祭り豆。
    清澄の里 粟
    トウモロコシの種。三浦さん夫妻が伝統野菜を知ったきっかけのひとつ
    清澄の里 粟
    三浦夫妻が奇跡的に復活させた幻の粟、むこだましの種子。

    伝統野菜を維持するために必要なもの

     奈良県高樋町の小高い丘の上。二人が活動の拠点に探し当てた場所は、耕作放棄されて40年も経つ荒れた茶山だった。スズダケや竹が浸食し、光も差し込まず、誰も近寄らない場所。普通なら買い手がつかないような荒れた土地だったのだ。でも、その場所を見た瞬間、雅之さんは確信した。
    「ここだ! この場所だ」
     雅之さんの頭の中にいくつかのイメージが浮かんだ。ここは“種”を生む場所になる。そして多くの人々が続々と集まってくるというイメージだった。そして、ここで興す事業は世の中を良くするためのモデルケースになるんじゃないか、と確信した。
    「大事な場面って、結構直感的なんです」雅之さんは笑う。陽子さんに一目惚れした時も同じ。疑問すら浮かばなかったという。初めて見るのに懐かしい。そういう感覚。

     最初の3年間は、ただひたすら荒れた土地を手で開墾した。少しずつ少しずつ。やがて荒れた場所は懐かしい里山の風景へと変わっていった。そして、開墾しながら伝統野菜の調査に走り回り、農家に譲ってもらった種子を畑に蒔いてみたりした。同時に野菜作りを学ぶために、赤目自然農塾の川口由一氏のところへ通い、2年間勉強した。貯めていた貯金はどんどん無くなっていった。
     しかし、生計を立てるために野菜を作ろうとしても、農業を始めたばかりの二人にはなかなか思うように作れなかった。自然農はその土地に合う育て方があり、地元の人に聞かなければならなかったのだ。そんなとき、いつも二人を遠くで見ていた農家のおじいちゃん、おばあちゃんが声をかけてくれた。
    「なにやっとるんや~?」

     隣に住む農家の鳥山悦男さんと乾純子さん兄妹、そして近所の青木正さんと朱美さんの夫婦だった。二人は野菜作りで疑問に思っていたことを相談した。そして、このままでは食べていけないことを伝えると、鳥山さんと乾さん、青木さん夫妻は快く、手取り足取り野菜作りを教えてくれたのだ。
     ある日、野菜の作り方を教わっている時だった。「そんならうちの畑に見に来るか?」と、鳥山さんが自分の畑を見せてくれることになった。
     そして、鳥山さんが案内してくれた畑を見て、2人は絶句した。その畑にはなんと、多くの伝統野菜が作られていたのだ。烏播(ウーハン)、大和マナ、八ツ頭、仏掌芋、大和三尺きゅうり、どいつ豆……。畑にはそれまで三浦夫妻が調査をし、憧れていた野菜が作られていた。全くの偶然だった。ここはたまたまそういう土地だったのだ。
     伝統野菜を研究し、復活させるためにはいくつかの条件が必要だが、まさに、この土地は二人がしたいことのすべてが揃っていた。

     まず、一つ目は消費地である市街地に近いこと。二つ目は中山間地であること。中山間地は標高差があるために高地に対応した品種や、平坦地で作れる品種など、多品目の栽培に向いているのだ。そして三番目は地域コミュニティーのベースがあることだった。地域の人々が団結し、人と人のふれあいが濃くないと、伝統野菜が維持できないのだ。
     奈良県高樋町という場所は、古き良き日本のやわらかいつながりのある地域だった。それぞれの自治会をまとめる連合自治会があり、その中で長老格の素晴らしい人がいて、さらに後継者も育てている。
     また、この地域は商売をしている人が多く、農業専業ではなかったため、自分の趣味的な野菜を自由に作っていた地域だった。伝統野菜の保存には最適な集落だったのだ。しかも、乾さんは種採り(自家採種)のスペシャリストでもあった。ただそれは後になって徐々に分かってきたことだった。

    清澄の里 粟
    エアルームのトマト。写真:平岡雅之
    清澄の里 粟
    小高い丘にあるレストラン「清澄の里 粟」の外観。

    幻の伝統野菜を復活

     1998年にNPO法人『清澄の村』を設立。三浦夫妻は荒れた土地を開墾しながら、大和地方の伝統野菜を中心に、エアルームと呼ばれる海外の伝統野菜も含めて本格的に調査を始めた。農家の人に分けてもらった4、5種類の種子を蒔きながら、たった二人でのスタートだった。ちなみにエアルームとは「先祖伝来の宝」という意味だ。二人は県内の農家を訪れ、埋もれた財宝を次々と見つけるように、その地域に根ざした多くの伝統野菜の存在を知ることになる。

     たとえば、奈良県の川西町で栽培されている「結崎(ゆうざき)ネブカ」という葉ネギ。川西町は世阿弥による能の発祥地でもあり、こんな話が口伝されてきた。
    「室町時代のある日、一天にわかにかき曇り、天から怪音とともに寺川のほとりに一個の翁面と一束のネギが降ってきた。村人は能面をその場にねんごろに葬り、ネギをその地に植えたところ、みごとに生育して結崎ネブカとして名物になった」と。
     結崎ネブカは戦前まで盛んに作られていたが、今は幻の野菜になっていた。平成14年から川西町商工会が町興し事業の一環で探し始めたことで、偶然に作っていた農家を発見。町全体で復活に取り組んだ結果、今やその知名度は全国に広がり、数多くの賞を受賞しているという。「栽培が難しくて手間はかかりますが、すごく柔らかくて、食感がよくて甘いネギなんです」と雅之さん。

     三浦夫妻が復活させた種子もある。「むこだまし」という粟の一種だ。
     粟は水田を必要とせず、乾燥地や寒冷地、やせ地でもよく生育するため、奈良県の山間地を中心に栽培されてきた。奈良県に粟は6種類あるが「むこだまし」はその中でも最高の品種だと言われている。従来の粟は黄色いものが多いが、「むこだまし」の色はお米のように真っ白で、餅米のような粘りがあるからだ。
     まだお米が貴重な時代、この粟で餅を作ればお米で作ったように見せかけ、“婿”をだませるくらいにおいしい粟だったことから、その名前がついたそうだ。たしかに昔の室内は暗かったので、本当にだますことができたかもしれない。ちなみに、お米が貴重だった時代にお米1キロを粟を交換する場合、粟が20キロ必要だったとか。

     そんな幻の伝統野菜があるなら、是非見てみたい! 二人はテレビの取材を受けたとき、「タネを持っている人はいませんか?」と呼びかけた。しばらくして、十津川村の70代の女性が保管しているということが分かった。二人が駆けつけると、もう20年前の種子なのに、大切に保管していたため奇跡的に発芽した。以来、今でも三浦夫妻がこれを受け継いで栽培している。

    清澄の里 粟
    「粟生(あわなり)」の餡に使用する、伝統野菜の大宇陀大納言小豆と白小豆。前にあるのが粟「むこだまし」。
    清澄の里 粟
    「むこだまし」を使った和菓子「粟生(あわなり)」。480円。

    それぞれの個性が光る野菜

    「伝統野菜をあえて一言で表現するならば、バランスシートの悪いものが多いんです」と雅之さん。収量は少ないけどおいしいもの、おいしいけれど収穫に手間がかかるものなど、それぞれの野菜が個性を持っている。
     たとえば、「ひもとうがらし」や「紫とうがらし」。多くの農家は収量のある「万願寺とうがらし」を作るため、この唐辛子にはなかなか手を出さない。それもそのはず、ひもとうがらしを1キロ収穫するまでの時間で、5~6倍の万願寺とうがらしが収穫できるからだ。でもすごくおいしいから自分たち用に作っている。

     伝統野菜は換金性が低かったり、手間がかかったり、栽培期間が長かったりと、弱点があるけれど、必ずどこかが光っている。だから、光っているものを生かす。無理に光らせるのでなく、引き出してあげることだ。中には、収量もなく、味も風味が悪くても物語性が面白いものもあり、その場合は物語を引き出してあげるのだと、雅之さん。

     奈良県五條市に地域限定の伝統品種「ふじ豆」という豆がある。インゲンの一種だが、がま口のような面白い形で食感も風味もそんなに良くはない。ただ、「七色お和え」といってお盆に仏様といただく料理には欠かせない食材であり、大切にされている豆である。その存在自体が地域に愛され、保存されてきた野菜もあるのだ。

     以前「世界に一つだけの花」という歌が流行ったが、伝統野菜の世界も、なんだか人間の世界と似ている。相対的に比べるのでなく、一つひとつの個性を活かし、その個性をみんなでリスペクトする。野菜という食べもの一つとっても、そういった個性を個性として受け入れ、尊重する。そういう姿勢やベクトルが、これからの時代は必要じゃないかと。
     地域の子どもたちが知らず知らずのうちにそんな姿勢を学び、それを人間社会で生かすことができたら。お互いを尊敬し合い、相手の個性を認め合う。そんな社会になったら、いじめや犯罪も少なく、相手を傷つけ合うことがなくなるかもしれない。伝統野菜の話をしていると、確かに彼らが目指しているコミュニティーの入口に伝統野菜があることが分かるのだ。

     こうして三浦夫妻が二人で始めたNPO法人『清澄の村』は、多くの伝統野菜の調査を続けている。現在では地元農家など協力者を得て、約40名の組織にまで成長。エアルームを含め国内外の伝統野菜(在来種)を年間200種類以上栽培、保存している。そして、そのうちのいくつかは大和野菜として奈良県に認証されている。

    清澄の里 粟
    大勢の人々の賛同と協力を得て、伝統野菜が作られる。写真:平岡雅之
    清澄の里 粟
    レストランには伝統野菜が置いてあり、実際に手にとって見ることもできる。

    伝統野菜が食べられるレストラン

     さて、三浦夫妻が大和地方を走り回り、調査・保存の活動も軌道にのってきたとき、二人はさらなる夢を抱きはじめた。農家レストランの開業である。NPO法人で文化継承だとか伝統野菜の調査・研究・保存と掲げてしまうと、それに興味がある人には伝えられるが、一般の人たちには遠いのではないかと考えたのだ。
     その点、レストランにすれば、伝統野菜を分かりやすく学べ、和やかな空間になるのではないかと。その方が無理なく受け入れられるに違いない。また、村の人が気軽に集まれる集会場にもなる。自分たちはよそ者だけど、集会場を通じて村の勉強をさせてもらえる。それが、本当にやりたいことではないかと。二人は決意した。さっそく周囲の農家に相談すると、「うちが野菜を作ってあげるよ」という温かい協力を得ることができた。

     2002年5月5日、『清澄の里 粟』をオープン。日本初の大和伝統野菜が食べられるレストランが誕生した。レストランの隣にある900坪の畑では、今でも200種類以上の野菜を作る。
    「旧暦に“一粒万倍日”という言葉があります。この日に播くと一粒の種子がたくさん実る縁起の良い日のことです。じつはこの言葉の由来は『粟』から始まったんです。だから、私たちの屋号でもある『粟』は、まさに伝統野菜や人の和が広がっていく、種火のような場所になればいいなという思いがあります。ここで起きることが一つのモデルケースになり、多くの人々に求められるようになることを願っています」と雅之さん。

     オープンから9年。『ミシュランガイド大阪・京都・神戸』の2012年版から、奈良が加わったのだが、『清澄の里 粟』は見事、一ツ星を獲得した。世界中のシェフたちが技術を磨き、いつかは星を獲りたいと憧れる殿堂に入ったのだ。これは農家レストランというジャンルでは異例であろう。

    清澄の里 粟
    コース料理の前菜。黄金カブと紅丸大根のベーコンチーズ焼き、ハヤトウリの炒めものなど。
    清澄の里 粟
    片平あかね(大和伝統野菜)、緑大根、黄金カブなどの漬け物。
    清澄の里 粟
    揚げもの。八頭=ヤツガシラ(大和伝統野菜)、鶴首カボチャ(愛媛の伝統野菜)、宇宙イモ(エチオピアの伝統野菜)、フキノトウなど。

    レストランを支える農家の人々

     レストランで提供する野菜は、当初、お隣の3軒の農家に手伝ってもらっていたが、その後は三浦夫妻の想いに共鳴した農家が続々と協力してくれるようになった。
     さらに、2010年からは加工所と直売コーナーを新設。『粟』を中心に急激に伝統野菜を作る農家は増え、現在では12軒の農家がレストランに野菜を供給している。中には種採りを始める農家も出て来ているという。
    「農家さんにもそれぞれ得意分野があるんです。大根作りの得意なところには伝統野菜の大根作りやカブ作りをお願いしたり、トマト作りが得意な農家さんにはエアルームのトマトをお願いしたり。そんなことをしていると、隣で見ていた農家さんも面白そうと言って始めたこともあります」と陽子さん。

     しかも、とても興味深いことに伝統野菜の栽培は70~80代のおじいちゃん、おばあちゃんが中心だという。伝統野菜の生育はスローペースなため、作業スピードよりもきめ細やかなケアが必要だからだ。熟練した技術でゆっくり栽培できる、この年代の働き手は貴重だ。
     また、伝統野菜は同じものを植えても、芽の出方が均一でなく、時間差で出てくることが多い。だから、少しずつ収穫できるわけだ。お店としても、いつも新鮮な野菜を提供できることになる。
    「順番に育ってくれるから、休み休み収穫ができるよ。一回に収穫が重なると大変だけど、これなら無理なく作れる」。手伝ってくれるおじいちゃん、おばあちゃんがよく言う言葉だ。
     たとえば、品種改良されたF1種の小豆の場合は一度に実り、9割近くの小豆を汎用コンバインで一挙に刈取って終わりだが、伝統野菜の白い小豆はまず一度にできない。だから、おばあちゃんが毎日ちょっとずつ手で収穫するのには向いているのだ。また、そうすることでおじいちゃんやおばあちゃんの役割もできる。

     農家を継がずに都会に出て行ったおじいちゃん、おばあちゃんの息子たちが、この伝統野菜の取り組みを聞きつけ、故郷で農家を継ごうとする動きも出てきている。伝統野菜の栽培は産業として見ても、とても魅力的な事業だからだ。事業として農業を成り立たせながら、自然豊かな故郷でゆったりと家族や地域の仲間たちと暮らすのは、当然のなりゆきかもしれない。

    清澄の里 粟
    周辺農家との絆は三浦夫妻の宝だ。写真:平岡雅之
    清澄の里 粟
    収穫して天日干しをする。古き良き日本の風景がそこにある。写真:平岡雅之

    一流の田舎を目指す!

     次のステップとして二人が考えたのは、今まで個人個人として付き合っていた農家同士を一つにまとめることだ。『五ヶ谷営農協議会』という営農グループを発足させ、従来は『粟』が個々の農家と連携していたのを、『粟』と『五ヶ谷営農協議会』が農商工連携するカタチにしたいのだ。
    「10年くらいかかるかもしれないけど、村の人たちと農業を中心に生活のベースを作り、タテのつながりもヨコのつながりもある本来の村の姿にしたいのです。当初、両隣の農家のおじいちゃん、おばあちゃんとの出会いから始まった私たちの活動も、今はその次の世代、さらにその次の世代との付き合いに広がっています。ある人はレストランに働きにきてくれたり、子どもを連れて遊びに来てくれるんです」

     雅之さんは続ける。
    「これからのコミュニティーは価値観や志を同じくする人々が集まってネットワークを作り、地域を作ってゆく“価値観の地”になるのだと思います。その中心に伝統野菜があるんです」
     そして「ヨソモノ、ワカモノ、バカモノ」と言われる都会からの若者たち、UターンやIターンをした若者たちが、外側からの視点で地域の宝を掘り起こしていくだろうと二人は考えている。
    『粟』のやろうとしていることが、これだけの広がりを見せているのも、そういった同志が集まり、「一流の都会を目指すのでなく、一流の田舎を目指すこと」に気がついたからである。

     三浦夫妻が目指しているのは、広義な意味での「福祉」なのである。
     農を中心にして地域のコミュニティーが活性化し、生涯現役で働くおじいちゃん、おばあちゃんが尊敬され、家族や子どもたちと触れ合うことができる世の中を作ること。そのために、二人は今後この成功例をモデルケースにし、ライフワークとして他の地域にも自分たちの経験を伝え、共有し、双方向に学びたいと考えている。
    「自分たちは億万長者になるつもりはありません。経営者の方々はよく言います。なんで、いつまでも自分たちで畑を耕しているのかと。でも思うんです。そこを外したら大きなものから外れてしまうと。村の素晴らしいところは、どんなにえらい長老でも自分の畑を作っていること。しかも、こんな楽しいことをやめるなんて考えられないです。今、十分に幸せなんですよ」

    『粟』の魅力を一言で語るのは難しいが、ここは大和地方の中でも最も大和らしい「まほろば」なのかもしれない。このお店には大和地方の魅力を受け継ぐ、独特の空気感みたいなものを感じるのだ。そして昔の大和地方、広くいえば、昔の日本はこんなにも豊かで滋味あふれる食文化を持っていたんだと感心する。
     烏播(ウーハン)の、口いっぱいに広がる、どこまでも粘りのある深い味わい。これは他の里芋では味わえない領域だ。また、「粟生(あわなり)」という、むこだましを使った和菓子は驚くほどの絶品である。むこだましの餅米のような歯ごたえと、粟の独特の風味が醸し出す味わい。口に含むだけで、たわわに実る大きな穂が、ゆるやかな風になびく姿が目に浮かんでくるようだ。

    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
     筆者は『粟』の活動を2008年から様々な媒体で取材してきた。私が知っているたった12年の間に、「粟ならまち店」「cotocoto」と店舗が3店舗に増え、2011年にミシュランガイドで一ツ星を獲り、2013年にテレビ番組「情熱大陸」で取り上げられた。2018年には彼らの取組「プロジェクト粟」は第47回日本農業大賞「食の架け橋の部」で大賞を受賞した。
     今回は2012年に発売された書籍の原稿をもとに、2020年5月時点の最新情報を反映させ、加筆修正している。しかし、彼らの姿勢は最初に会った時と何も変わることがなく、いつも謙虚。夢は尽きることなく、さらに活動の場を広げようとしている。
     大量生産、大量消費。どこまで発展しても経済的欲求が満たされることなく、格差が広がり続け、人々の心が蝕まれていくこの世界。彼らが目標としているコミュニティーは、私たち人間がこの地球で生きていくために本当に必要な理想郷である。

    桜鱒太郎

    清澄の里 粟
    江戸時代以降の町屋が並ぶ、ならまち界隈にある「粟 ならまち店」。
    清澄の里 粟
    「粟 ならまち店」でのコース料理。大和伝統野菜をはじめ、奈良の食材が豊富。
    清澄の里 粟
    モダンな造りの「coto coto(コトコト)」はレストランとイベント&展示スペースがあり、奈良の情報を発信している。

    清澄の里 粟
    奈良県奈良市高樋町861
    TEL0742-50-1055(完全予約制)
    営 11:45~16:00(LO15:30)
    予約時間10:00~16:00
    定休日 火曜日

    粟 ならまち店
    奈良県奈良市勝南院町1
    TEL0742-24-5699(完全予約制)
    ランチ 11:30~15:00(最終入店13:30、LO14:00)
    ディナー17:30~22:00(最終入店20:00、LO21:00)
    予約時間10:00~21:00
    定休日 火曜日

    coto coto(コトコト)
    奈良県奈良市東寺林町38
    (奈良市ならまちセンター1F)
    TEL0742-22-6922
    ランチ、カフェ 11:30~16:00
    (ランチLO14:00 カフェLO15:30)
    ディナー 18:00~22:00
    (コースLO21:00、ドリンクLO21:30)
    予約時間10:00~21:00
    定休日 火曜日、日曜日の夜

    https://www.kiyosumi.jp

    営業時間など下記の最新情報をご確認ください。
    https://www.kiyosumi.jp/category/news

    清澄の里 粟
    粟 ならまち
    awa

    ※本文は2012年に発売された桜鱒太郎著『未来の食卓を変える7人』(書肆侃侃房)の原稿をもとに、作者がweb用に新しい情報を加筆修正しています。「清澄の里 粟」のお二人の他に6名の農家の方々が登場しています。ぜひ、読んでみてください。
    https://www.amazon.co.jp/dp/4863850786

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